ポール・スミス展
HELLO, MY NAME IS PAUL SMITH
Paul's Portrait ポールのポートレイト © James Mooney
世界で最も著名なイギリスのデザイナーの1人、ポール・スミス。
2013年11月にロンドンのデザイン・ミュージアムにて開幕し、大好評を得た展覧会「HELLO, MY NAME IS PAUL SMITH」。
観客動員数記録を塗り替えたほどのヒットした展覧会だ。
その後、ベルギー・ハッセルト(Hasselt)、スコットランド・グラスゴー(Glasgow)とヨーロッパ各地を巡回し、いよいよ日本上陸。
☆Design museum
http://designmuseum.org
☆Mode museum hasselt
http://www.modemuseumhasselt.be
☆GoMA
http://www.glasgowlife.org.uk/museums/GoMA/Pages/default.aspx
ロンドンのデザイン博物館は、テレンス・コンラン卿によって設立されたモダンデザインに関するユニークな博物館で、世界デザインの聖地ともいえる。
ロンドンデザイン博物館 巡回展マネジャー 撮影 浦典子
ハッセルトは、人口あたりのブティック軒数が多いため、「ファッションの町」といわれている、デザインに目が肥えている土地柄だ。
また、グラスゴー(Glasgow)は、スコットランド最大の都市でイギリスのスコットランド南西部に位置し、ロンドン、バーミンガム、リーズに次いでイギリス第4位の都市だ。
産業都市であるとともに、名門グラスゴー大学やグラスゴー美術学校を擁し、文化・芸術・若者の街として知られている。
このような都市で成功を収めて来た展覧会だけに期待大なのだ。
「ポール・スミス展」は、日本巡回展のキックオフとしてただいま、京都国立近代美術館で大好評開催中だ。
この展覧会は、デザイナー ポール・スミスのインスピレーションの源や、絶え間ない日常のなかで物事をどのように観察し、感じ、そして形にしているのか、その創造の過程を解き明かすことをコンセプトにしており、クリエイターやデザインに興味のある人には必見だ。
イギリス・ノッティンガムでわずか3 x 3平方メートルのスペースにオープンした最初のショップ「THE FIRST SHOP」。
たった数着の初めてのコレクションを披露したパリのホテルの部屋を再現した「HOTEL BEDROOM」。
あらゆるもので埋め尽くされたおもちゃ箱のような自身のオフィス「PAUL'S OFFICE」。
Paul’s Office ポールのオフィス © Luke Hayes
細かなディテールまで忠実に再現したデザインスタジオ「THE STUDIO」。
ポールの頭の中を覗く映像インスタレーション作品「INSIDE PAUL'S HEAD」。
Inside Paul’s Head ポールの頭の中 © Luke Hayes
ポール・スミスショップにはお馴染みの「PAUL'S ART WALL」。
40年にわたり毎シーズン発表し続けている洋服のコレクションの一部や、日本での展覧会で初公開となる新しいストライプをあしらったMINIなどの様々なコラボレーションアイテム。
ひとつとして同じものがない個性的な世界のポール・スミスショップ。
などなどの展示を通し、ポール・スミスの本質や世界観をさまざまな角度から考察する展覧会だ。
これらは、すべてポール・スミスが自ら選んだ展示物だ。
わずか3メートル四方だった一号店からスタートし、今では約70カ国に展開する世界的なファッションブランドへと成長したポール・スミスの軌跡を、映像インスタレーションや再現展示などを通じて紹介し、ファッションの枠を超えた創造性とそのユニークな世界観に迫る展覧会だ。
ポール・スミスは、1946年、イギリスの中央部にある人口全英27位の小さな町、ノッティンガム(Nottingham)に生まれる。
ちなみにノッティンガムは、中世のロビン・フット(Robin Hood)の伝説として有名なところでシャーウッドの森の南30kmに位置し、『チャタレー夫人の恋人』などで有名な作家D・H・ローレンス(David Herbert Richards Lawrence)の出身地だ。
自転車競技で身を立てるべく、15歳の時学校を自主退学し、レーサーをめざすが事故に遭遇。重傷を負い、レーサーへの道を断念。
アートスクールの学生達と仲良くなり、彼等のオーガナイザーとしてどんなことでも期待に応える手配役を果たすうちに、アートの世界の魅力にしだいにひかれていったという。
ロイヤルカレッジでテキスタイルの教師をしているポーリーン・デニアにひかれ、 やがて同居を始めるが、ポーリーンには2人の子供と2匹の犬という同居人がいた。
ポール・スミスは、若干20歳にして"インスタントファミリー"の長になる。
そして、家族全員を養うために、ノッティンガムのテーラーの店員などあらゆる仕事をこなし、懸命に働く。
店の主人には自分の店を持ちたいという話を訴え続けたところ、その店のバックルームを自由に使わせてくれることになった。
壁を塗りかえ、電気をひき、壁をぶち抜いて窓をつくった。月曜から木曜までは従来通りあらゆる仕事をこなし、金曜と土曜 は自分のショップで商品を売った。
オリジナルと呼べるものは、ポーリーンが縫ってくれた数本のネクタイ。
ほとんどは自分で探し回って仕入れてきたわずかな商品だった。
この展覧会で再現されている「THE FIRST SHOP」だ。
Paul in his First Shop ポール・スミス1号店 © Paul Smith Ltd
1970年、24歳の時、ポール・スミス リミテッドを設立。小さな田舎町ノッティンガムのショップや、オーガナイザーとしてのポール・スミスの仕事ぶりは、やがて大都会ロンドンのファッション業界で噂されるほどになっていた。
そして1974年、その噂を聞きつけた「ブラウンズ社」に、専任のコーディネーター兼デザイナーとして就任。
自分のショップを経営するかたわら、3年間同社の買いつけとブラウンズブランドの商品デザインを担当し、同社の名声を高める大きな原動力となった。
ノッティンガムのショップは、ポール・スミスの噂の高まりとともに、顧客の数も増し、月曜から金曜までフルに営業するほどになっていた。
初めて自分自身のオリジナルブランドを作ろうと決心。シャツ工場に、自分のデザインで自分のブランド ロゴ入りのシャツを依頼、出来上がってきたシャツを自ら売り込みに回った。この時、初めて買ってくれた客は、ニューヨークの有名ショップ"バーニーズ"の オーナーの息子だった。宿泊しているホテルを聞きつけて押しかけ、一枚ずつ説明する熱心さに感心して、200枚の購入契約をしてくれたのだった。
1976年、初めて自分のコレクション・ショーを開く。資金の余裕などなくキース・バーティとアラン・クリーバーが所有していたパリのアパートメントの一室を借り、そこを会場にした。モデルは友人をかき集め、フィッターも ポーリーンや友人が担当。スーパーでシャンパンを買い、借り物のグラスを並べ、 自分の家から持ってきたステレオで音楽を流すという、何から何までチープな仕込みではあったが、ショーは大成功。
翌年から、毎年パリで展示会を開けるほどになった。 1978年には、セームの展示会に期間を合わせ、パリのホテルの一室で展示会を一週間催。
これが、この展覧会で再現されている「HOTEL BEDROOM」だ。
「この時が、本当の意味での"ポール・スミス"コ レクションの誕生だった。」とポール・スミスは言う。
初回は残念ながら、一週間でわずか2人のバイヤーが訪れただけだった。しかし、回を重ねるごとに、その人数は増えていった。
その後、ポール・スミスはI・W・S(国際羊毛事務局)のデザインコンサルタントや、著名な素材メーカー「レイ・ミルズ社」のカラーコンサルタントなども兼ね、実績を着々と重ねて行き、ポール・スミスはデザインとビジネスの両面のノウハウを自然に身につけていくことができた。
1979年、33歳の時、念願だったロンドン市内にショップをオープンするチャンスがめぐってきた。場所は元々野菜市場だったコベントガーデン(Covent Garden)。
16世紀から 1974年まで、この地域は果物屋が軒をつらねていたが、その後市場全体が移動し、廃墟になっていた場所という。
ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』やそれを基にしたミュージカル『マイ・フェア・レディ』で、オペラが終わりタクシーを待つ主人公ヒギンズ教授が花売りイライザ・ドゥーリトルと出会うあの場所だ。
ちなみに現在は、おしゃれなショピング街として再開発され、週末には大道芸人がパフォーマンスするなど一大観光地になっている。
購入しようとした場所は、以前バナナの倉庫だった所で、オーナーは3万5千ポンドで売ると言ってくれた。当時もまだ資金力の無かったポール・スミスは、以前働いていたテーラーの主人に1万ポンドを借り、銀行からも5千ポンドを借りたが、まだまだ足りない。
そこで再度オーナーにかけあい、現在集まっている資金額をありのまま話し、どうしても購入したいのだと訴えた。
オーナーはその熱意に負け、売り値を2万5千ポンドにダウンした上、不足分の1万ポンドをオーナー自身が貸してくれた。
こうして、コベントガーデンショップが誕生した。現在この店は、その後10年間に隣接する店を次々と買い足し、4店が並ぶ規模に成長している。
この展覧会の記者内覧会で、ポール・スミスは展覧会場で説明をしてくれた。筆者らは、入場の際に入口の警備室で名前を書くのだが、何やら見たことのあるサインが・・・。
後でポール・スミス自身のサインとわかったが、筆者はポール・スミスのすぐ後に名前を書くという光栄に預かった。
ポール・スミスには通訳がついているのだが、少しずつセンテンスを区切って話してくれるので、通訳がしやすい。また、ロープの中から出て移動する時、通訳のかたの手を取りエスコートしていた。その所作が大変エレガントで自然であった。
また、写真撮影の際も、お茶目にポーズを取ってくれ協力的でフォトジェニックだ。
身長170㎝に筆者がかなり見上げるほど背が高く、スリムだ。
その話しぶりは大変美しい英語で、さすがだ。
撮影 浦典子
少しの時間であったが、ポール・スミスを拝見していて感じたことがある。
若干20歳にして、2人の子連れの女性と同居をする勇気が一般男性にあるかどうか。いくら魅力的な女性であっても、だ。
ポール・スミスはロンドンの物件を購入するにあたって計算上すべて他人に出してもらっている。何という交渉力と熱意だ。
以前働いていたテーラーの主人は、ポール・スミスが独立する時はちょっぴり残念な気持ちもあったはずだ。にもかかわらず、彼にお金を貸している。
売り手のオーナーには、ディスカウントしてもらった上にお金も借りている。
とても信じられないことがポール・スミスの身上に起こっている。
相手が、ポール・スミスのためなら協力しようと思う、そんな気持ちにさせる人徳を持っている人なのだ。
1984年には東京青山に、1987年にはニューヨークに、次々とオリジナルショップが誕生。
ポール・スミスのファッションはヤッピーと呼ばれる若いエリート層の間でステイタスシンボルとなる。
堅苦しい印象を与えがちであった英国の伝統的な紳士服をポール・スミステイスト・モダンを盛り込み、新たな価値を見い出した。
また、1989年には英国の名 門 デパート『ハロッズ』に単独のコーナーショップがオープン。これはハロッズの歴史上、かつてない展開だ。
1997年、トニー・ブレア首相就任親任式のスーツを担当。(以後、退任までの10年間公務のスーツを制作)
同年、ヴァージングループ会長リチャード・ブランソンらと共にブレア政権下の「クリエイティブ産業タスクフォース」のメンバーに選ばれ、クール・ブリタニアムーブメントの一翼を担う。
1998年、ロンドンの高級住宅街ノッティングヒルに、邸宅を改装しビスポーク(Bespoke注文服)のアトリエを併設した旗艦店「ウエストボーンハウス」を開店。
ビスポークとは「注文の~」という意味。語源は、顧客がテーラーに「話を聞かれながら = be spoke」服を仕立てていくことに由来するといわれる。
ビスポークの店を開くことは、ポール・スミスの念願であったという。
2000年、デザインへの勲功により エリザベス女王よりナイト爵位(SIR)を授与された。
彼は大学も出ていない。しかし、生まれながらの貴族以上に上品で理知的だ。
学歴より実力の大切さを示している稀有な存在だ。
Sirの爵位を持つ人に話しかける時には、“Sir Paul”もしくは、“Sir PAUL SMITH”と
言う。“Sir SMITH”と呼ぶのは間違った表現だ。
筆者が、“Sir PAUL SMITH”と話しかけた時、微笑みながら握手してくれ、「褒めてくれて大変うれしいです。」と答えてくれた。
その手は温かく、表情は大変チャーミングであった。
撮影 浦典子
会場のファンのかたにも笑顔で応じ、自身の展覧会には過去にファンのかたがたが贈ってくれたプレゼントも展示している。
撮影 浦典子
内覧会後のパーティーは、華やかでセンスある装飾がなされていた。その責任者の話では、料理も少しでもおいしいものを皆さんに召しあがっていただきたい、皆さんに楽しんでいただきたいというポール・スミスからのオーダーだという。
撮影 浦典子
スーツをはじめとする英国の伝統的なメンズウェアの良さを世界に再認識させ、ファッションを芸術の域にまで昇華させたポール・スミスの功績は大きい。
また、ポール・スミスが一代で世界ブランドを築けた理由がわかる展覧会でもある。
クリエイターやデザイナーを目指すかたやすでにその職業に就いているかたは、かれの発想や仕事への取り組みの仕方を学んでいただきたい。
デザインやファッションに興味があるかたやよりよい人生を送りたいと考える人、教育に興味がある人、いろいろな思いを持った人がそれぞれに何かを掴み取っていただける展覧会だ。
ポール・スミスの存在は多くの人々に勇気と希望を与える。
「気配りの人」、ポール・スミス。
ぜひ、小さなお子様も一緒に出掛けていただきたい。
この京都展の後、東京、名古屋にて開催予定で、日本では3館でのみの展覧会だ。
"The job changes you, you don't change the job." –
『仕事によってあなたは変わる事もあるが、あなたが仕事を変えることはできない』が自分のやりたい事をやるという仕事に対するポール・スミスの信条だ。
仕事の仕方や「生き方」の大切さをいろいろな意味で教えてくれる、「人生の」展覧会だ。
お見逃しなく。
Collaborations -Mini, 2016 コラボレーション(ミニ、2016年) © Paul Smith Ltd.
会期
2016年6月4日(土)~ 7月18日(月・祝)
開館時間
午前9時30分 ~ 午後5時
※ 会期中の金曜日は午後8時まで開館
(いずれも入館は閉館の30分前まで)
休館日
毎週月曜日 ※ ただし7月18日(月・祝)は開館
主催
京都国立近代美術館
読売新聞社
関西テレビ放送
ぴあ
協賛
伊藤忠商事
ジョイックスコーポレーション
オンワード樫山
スタイル
シチズン時計
ロイネ
Sony UK
特別協力
Paul Smith Ltd.
協力
ANA
後援
ブリティッシュ・カウンシル
観覧料
当日 前売り 団体(20名以上)
一 般 1,500 1,300 1,200
大学生 1,200 1,000 900
高校生 900 700 600
※ 中学生以下は無料
※ 心身に障がいのある方と付添者1名は無料。
(入館の際に証明できるものをご提示のこと)
※ 本料金でコレクション展も鑑賞可。
☆ホームページ
☆特設サイト
☆トークセッション「メンズファッションの歴史と現在」
日時:7月3日(日)午後2時~3時30分
ゲスト:中野香織 明治大学特任教授
百々徹氏 京都造形芸術大学准教授
モデレーター:蘆田裕史 京都精華大学講師
会場:京都国立近代美術館 1階講堂
定員:先着100名(午前11時より1階受付にて整理券を配布)
※聴講無料(本展覧会の観覧券 要)
ワークショップ「ボタン dé ぼたん」
日時:7月9日(土)午後1時~
ナビゲーター:戸矢崎満雄 神戸芸術工科大学教授
会場:京都国立近代美術館 1階ロビー
※ワークショップで使用するピンクのボタンを大募集!
募集期間:7月9日(土)午前中まで
美術館1階に収集箱を設置
☆読者プレゼント
3組6名様にご招待券 プレゼント
あて先 : loewy@jg8.so-net.ne.jp に
件名:展覧会名と会場名
本文:ご住所、お名前
をお書きの上どしどしご応募下さい。
締切:http://art-news-jp.jimdo.com にてUPした日の翌日午前零時
発送をもって当選と代えさせていただきます。
☆ご意見・ご要望・ご感想のお願い
よりよいサイトづくりのため、読者の皆さまからのご意見を常時受け付けております。
あて先 :loewy@jg8.so-net.ne.jp に
件名:アートニューズ ご意見・ご要望・ご感想
とお書きの上、ご意見・ご要望をお送り下さいませ。
お待ちいたしております。
☆お知らせ
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